忘備録の書き方

僕は忘れっぽい性格であり、メモ魔である。

基本的にアナログ人間で、手書きのメモを愛用している。

手書きのメモというのは現代においては相対的に不便なものであるが、良さもある。

例えばインクの滲みから、当時の状況を思い出すこともある。

手帳のページの折れ目が、何かの思い出につながっていたりする。

文字の崩れ具合から、当時の心境を思い出したり、字体の変化を眺めて楽しむこともできる。

そういう点は、手書きの良さだと思う。

 

欠点は、手帳自体がどこに行ったかわからなくなってしまうことが多々あることと、持ち運んでいるときに雨に濡れて過去のメモまで全てぐちゃぐちゃになってしまうことなどだろうか。

 

そういうわけで、手帳の代わりの忘備録としてブログを使ってみることにした。

これなら、ネットワーク環境下にあればどこでも過去の記録を振り返ることができるはずである。

 

忘備録の書き方というのはどのような形式が良いのだろうか。

基本的に自分向けなので、他人の目を気にした書き方をしようとは思わない。

しかし、未来の自分はほとんど他人のようなものである。

完全に独りよがりな書き方をすると、未来の自分にとってさえも意味不明になってしまう。

それでは忘備録の意味がないが、手書きのメモではそういうことがよくあった。

数年前のメモを見返して、いったい何のことやらさっぱりわからないということは多々ある。

そういうことはできるだけ避けたい。

幸いなことに、手書きよりもキーボード入力の方が単位時間当たりに入力できる文字は多く、まとまった文章を書きやすい。

従って、手書きのメモよりも未来の自分に優しい忘備録が書けるはずである。

 

書き方としては大きく二つあると思っていて、一つは、とにかく思い付いたことや考えたことを片っ端から書いていくという方法。

これは、おそらく情報量としては一番多く、考えていたときの勢いや雰囲気を残しやすいというメリットがある。

但し、整理不充分な状態で書くわけなので、情報の密度としては薄く、再利用しにくく次につなげにくいという欠点がある。

どちらかと言えばこれは日記的な書き方に近く、情報の再利用を意識した書き方というよりは、感傷に浸るための思い出の記録方法という感じがする。

 

もう一つは、考えを整理して、取捨選択をしたうえで書くという方法。

普通、誰か他人に対して文章を書く場合は、この方法を取るべきである。

但し、自分向けの忘備録というときに、この方法がベターかどうかは悩ましい。

情報の整理には時間も労力も掛かる。

忘備録として記録するというときには、いつか必要になるとわかっている情報を残すこともあれば、必要になるかどうかは今のところわからない情報を残すこともある。

何が必要になるかわからない状態で、情報を取捨選択してしまうのは、忘備録としてはあまりメリットにはならない気がする。

さらに、情報を整理する過程で勢いやニュアンスのようなものが失われてしまうこともある。

結果として、情報の密度は上がるかもしれないけれども、自分の考えが薄れた無味乾燥な要約しか残らず、しかも要約に時間が掛かり情報量が減ってしまうということもある。

 

そんなことを考えて、今のところの結論は、とりあえず整理せずに思い付きを書き散らしておいて、後から使いそうな情報は再度整理して書くというのがいいのかなというふうに思った。

考えたことを書くというのもあるけれど、書くことで考えが進むということもよくある。

そういうツールとしてブログを使っていけたらいいなぁと思っている。