自閉症スペクトラム孤立型:思い当たること(その2)

昔から、自分はアスペルガー症候群かもしれない、という思いはあった。ただ、僕が子供の頃はまだインターネットが今ほどに発達しておらず、情報収集はそれほど簡単ではなかった。それに、アスペルガー症候群の説明に納得できる部分もあれば、納得できない部分もあった。今も、自閉症スペクトラム全般の説明には自分と合わないところも多いと感じる。しかし、孤立型の説明は、ほぼ完璧に自分と合致する。分類はたぶん間違いないだろう。あとは、どういう脳の状況でそういう症状が出ているのかがわかると、気持ちはすっきりすると思う。
僕の場合、勉強はできる方だったので、脳の機能が周囲に劣っているという実感はあまりない。あくまで個性だと思っている。しかし、この個性が生きるうえで多くの困難を引き起こしたことは事実で、そういう意味では確かに障碍だと思う。
今の職場は、比較的自分にとって居心地がいい。それでふと、チームメンバーのことを考えてみたら、メンバーの多くが自閉症スペクトラムの傾向を持っているように思えてきた。それでも、それなりにやっている。環境次第なのだなということを強く感じる。進化や絶滅も、環境に対しての有利不利で決まるのだから、当然と言えば当然かもしれない。
環境と言えば、自分にとって一番居心地がよかったのは、大学院生のときの研究室だった。同期が六人いて、一人は鬱病になって、もう一人も心を病み掛けていたので、おそらく一般的にはあんまりホワイトな環境ではなかったと思う。でも、個人的には人生で一番楽しかった時期である。どういう環境が居心地が好いのかは、個人ごとに違う。
一人でもいいんだ、自分の時間を持っていてもいいのだと自分なりに納得できたのは、たぶん、大学を卒業する頃になってからだったと思う。友だちがいないから予定が空いていて一人で過ごしているわけではなく、自分が一人でいたいから一人でいるのだとようやく思うことができるようになった。ただ、今でも、一人で過ごす時間を「忙しい」とか「既に予定がある」とか他人に説明するのは、どうにもわかってもらえないことが多くて悲しい。世の中には、自分一人で過ごす時間ならいくらでも調整できるから忙しくないはずだと考える人が多い。
「休日に何をしているの?」というような質問にも返答に困る。自分の中では答えがある。でも、その答えを他人に対して説明するのはとても難しいし、理解してもらえる可能性はほぼゼロだ。だから、だいたい曖昧に答えを濁す。結局、「よくわからない人」になっていく。(何人かに、「仙人みたいだ」と言われた。)
集中を邪魔されると苛立つというのもまさにその通り。さすがにキレたりはしないが、すごくストレスである。合理的な説明をしても納得してもらえないときもそう。子供の頃、母親に対して、きちんと理由を説明しても納得してもらえないときは、なぜわかってくれないのかすごく不思議だった。
他人の気持ちはよくわからない。でも、パターン分析は得意なので、ある程度一緒に時間を過ごせば、その人の考え方のパターンを把握して、それなりに付き合えるようになる。逆に、初めて会うときや、多人数と同時に会うときは、ほとんど無力だ。親しい人たちとの飲み会とかは好きだが、初対面の人との飲み会とかは苦行でしかない。分析をしようと思っても、人数が多いと追いつかない。一対一の会話のときは、基本的に相手を分析対象として見て、分析を楽しむ感じになる。

追記自閉症スペクトラムアスペルガー症候群を混同していてうまく理解していないかもしれない。もう少し勉強が必要そうだ。