語学を勉強しなくてもいい時代に生まれたかった

AIというか、機械学習の技術が発展している。

機械翻訳は現在でもかなりいい線まで行っていると思うが、音声認識がまだいまいちで、機械が高品質な自動通訳をしてくれるというのが世間に普及するのはもう少し先かなと思う。

そういう時代が来れば、外国語学習の必要は(少なくともビジネス目的では)なくなるわけで、語学の苦手な自分としては早くそういう時代になってほしいものだと願っている。

ただ、少し嫌な予感もする。

例えば、「機械に翻訳を任せるのはけしからん。俺は生身の人間としか会話しない」みたいな人が一定数出てくるだろうなと思うのだ。

今だって、調べれば一瞬でわかるような知識を問う試験があちこちで行われている。

そんな試験をして何かの能力を測ったところで、意味はないのに、だ。

機械が賢くなっても多くの人間は馬鹿なので、社会はすぐには変わらない。

できる必要のないことを、無駄に強要するのはなくならないだろう。

 

そういう視点からすると、個人的にいろいろ不可解に思っていることもある。

例えば、速く走ること。

車に乗ればオリンピックメダリストより速く走ることができるのに、なぜ生身で競うのか。

個人的には意味不明である。

チェスなども、娯楽として楽しむのは別にいいけれど、機械に勝てないくせにプロがいるというのも変な話だと思う。

 

そういうことをあれこれ思うと、AIが仕事を奪うとか、奪わないとかいうのは、技術的に可能かどうかではなく、機械がそれをやることを人々が受け入れるかどうかにあるのだという気がしてくる。

「ここは人がやらないといけない」というのを決めてしまえば、その行為に価値がなくても、仕事はなくならない。

しかし、価値のない仕事はつまらないだろう。

 

AIにできないことをできる人間であれ、というのは、意見としてはとても正直で正しいと思うのだが、たぶん、そういう人が将来正当に評価されるとは思えない。

今の時代も同じだが、どうでもいいような「人間にしかできない仕事」をうまく得た者が評価されるのだろう。

変に未来を考えて努力をするよりも、好きなことをして生きた方がいいなと思ってしまう。

いっそのこと、人間の評価も機械に任せてしまった方が、(問題は多々あるだろうが)少なくとも人間任せよりは、ずっと公平だろうと思う。