理不尽と共感

例えば上司から理不尽な仕事を振られたとき。自分にとってベターなのは、何とか合理的な理由を付けてその仕事を回避することであり、自分の不幸を避けることだ。

しかし、回避することがそれなりに困難な場合、さらに努力して回避策を模索することよりも、死なば諸共で憎い人を道連れにすることを考えがちである。

そんなネガティブな人間は自分くらいなものかもしれないが、周囲を見た感じでは同じような考え方をする人はそれなりに多いようにも思う。

こういう、死ぬにしても一矢報いてやる、みたいな気持ちは、合理的に考えれば考えるほど損はしてもメリットは何もないように思える。進化の過程でそういう感情が生じる仕組みを得たのだとしたら、やっぱり、道連れにすることで自分の仲間を危険から遠ざけるような意味があったのだろうか。

ついでに今、自律神経が狂っているのかわからないけど、体調があまり良くない。精神的ストレスで自律神経が狂って体調が悪くなるという仕組みも、得する要素は全くないように思える。これはいったいなぜ生じたのか、興味深いところである。

最近、「悪」の定義に興味を持って、正義とか、共感とか、サイコパスとかについてあれこれ調べている。まだよくわかっていないけれども、ちょっとずつサイコパスへの興味が増している。

共感と合理的な思考というのは、相反する場合が多い。結局はうまい使い分けが必要なのだろうが、共感だけだと馬鹿だと言われ、合理的に生きると冷たいとか人間らしくないとか心が無いとか言われる。でも、どちらかを選ばないと結局何も行動できない。何というか、最初から理不尽な構造になっているよなと思う。

組織とか人間関係とか、本当によくわからないし、不思議なものだと思う。苛々して何も考えられないので、お酒飲んで音楽ばっかり聴いている。明日、仕事行きたくないな。